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もえるるぶ 東京案内
70年代のジャンク屋の街から20年の沈滞を経て萌えあがったアキバのガイドブック。無線少年だったわしが、EIMACのTUBEを探した街はもう無い。少し哀愁。
本書は、みさくらなんこつの砲弾型πイラストも楽しめ、本気であの「るるぶ」が作ったガイドブック。アキバ以外にも、リーズナブルホテルやマンガ喫茶、地図も充実し実用性高い。
東京出張必携だ。
ところで、わしらがこの街に全学列車で通った頃、「アキハバラ」か「アキバハラ」かで論争したが、以下、このページから
現在の秋葉原電気街のあたりは、江戸時代は下級武士の居住地域であった。「火事とケンカは江戸の華」と言われたように、当時は火事が多く、この秋葉原かいわいも江戸時代を通じて火災に悩まされていた。 1869(明治2年)の相生(あいおい)町の大火を機会に、当時の明治政府下の東京府は9000坪(約3万・)の火除地(ひよけち)を当地に設置し、翌 1870(明治3年)年に、遠州(現在の静岡県)から火除けの秋葉大権現(あきばだいごんげん)を勧請(かんじょう)し、鎮火神社としてまつった。 当初は鎮火原と呼ばれたが、鎮火神社が秋葉神社(あきばじんじゃ:現在は台東区松が谷に移転)と改められると、「秋葉原(あきばはら・あきばっぱら)」と呼ばれるようになった。 現在、「あきば」と略されるのは、このあたりが語源となっている。
1890年(明治23年)に上野から鉄道が延長されて、新しく当地に駅が開設されることになり、駅名は「秋葉原(あきはばら)」と名付けられ、その名前が一般化し、全国的には「あきはばら」という読み方が定着していく。
ということです。謎は解明されてませんが。
2005年5月某日読了